最近、鑑定や相談で聞かれることが多いのは「先祖供養はどうすればいいんですか?」という質問です。そこで今回は「算命学的先祖供養」をご紹介します。

宗教観の違い

日本は不思議な国で、正月の初詣、子どもの誕生や七五三には神社へ行き、結婚式は教会で、死んだらお寺で供養してもらうという、なんとも宗教に寛大な国民です。他国の人達が聞いたらビックリするでしようね。もちろん一つの宗教を熱心に信じて暮らしている人も多いでしょうが。

さて算命学は、現代の宗教が成立する遥か前から存在する思想観から生まれていますので、"死"や"先祖"などの考え方がちょっと違っています。どちらかといえば仏教に近い、というより仏教が中国に伝来した時に算命学の理論を吸収したので、その後日本に伝わった今の仏教が算命学理論に近いと言っていいと思います。

ですから算命学でも"魂"と"肉体"はこの世に生まれている時は一体だけれども、この世での役割を終えて死んだ時はまた離れていくという考え方です。そして肉体は大地に返り、魂は宇宙空間に戻っていくというものです。そして再び魂は別の肉体を借りて、この世に修業にやってくるんです。"輪廻転生"と同じようなものです。
そして肉体を与えてくれるのが先祖というわけです。

"業(ごう)"って知ってますか?

算命学では、不思議なことですが個人を鑑定すると先祖まで遡れるという技法が存在します。つまり生まれながらにして先祖のデータが本人に埋め込まれていると言うことです。

自分が先祖からどういう影響を受けたかということもわかります。"業(ごう)"という言葉を聞いたことがあると思いますが、「・・あの人は業(ごう)が深い・・・」とか、その業というものを先祖から受け継いだ宿命になっている人も大勢います。

余談になりますが「修業」とはこの"業(ごう)"を改修する作業のことで、「学業」とは人間の"業(ごう)"を改善する生き方を学ぶことなんですね。この世は常に"業(ごう)"を洗いなおしていくための訓練場なんです。

先祖の影響

人間はその人の前後5代に渡って影響し合います。
たとえば、あなたの曾々おじいちゃんの"行い"の結果があなたに還っているということがあります。曾々おじいちゃんの影響を受けて何かしら宿命に条件をつけられていると考えてもらっていいでしょう。とすれば今のあなたの"行い"があなたの孫の孫まで影響するということになります。

あなたが良い行いをすればそのデータが5代先まで影響し、悪い行いをすればそれが"業(ごう)"になって誰かが受け継ぐということです。

ですから自分勝手な生き方をしている人、誰にも迷惑をかけていないと思っている人は、そのことを理解しておかないと子孫が大変なことになると言うことなんです。

先祖供養がなぜ大切なのか?

一つは私たちが今、生きているのはそういった数多くの先祖たちのお陰なので、先祖に感謝をしなくてはならないからです。先祖なくしては自分たちはこの世に存在しないのです。

そしてもう一つは、私たちの沢山の先祖の中には大なり小なり苦しんで亡くなっていった先祖がいるはずです。その魂を癒してあげる、それも現世で生かされている私たちの務めといってもいいかもしれません。

そして先祖を供養することで私たちが"心"を育てられるとともに"チカラ"を与えてもらえるんです。よく「・・先祖から守られている・・」と言いますがそういうことなんですね。そして自分たちの子孫にその心が繋がっていくことにより、その子たちがいざという時に救われるんです。精神的強さも持つことが出来ます。

千の風になって

クラシック歌手の秋川雅史さんによる「千の風になって」という曲がヒットしました。この曲の中に「私はお墓の中にはいません」というような詞がありますが、まさにそうなんです。お墓の中には先祖たちはいないんです。

では、墓参りは無用の行為なのか?
そんなことはありません。


お墓というのは言ってみれば、この世に生きている人達にとって亡くなった魂たちと交信するアンテナなんですね。仏壇も、位牌も同じです。先祖と会話をするための道具・場所なんです。前述しましたが先祖に感謝し思いを馳せることで"心"が育ち"チカラ"が沸いてくるんです。

もし普段日常的に、どんな時でもどんな場所でも先祖を思い浮かべ感謝を出来る人がいるなら、別に墓も仏壇も位牌も必要ないでしょう。でもなかなか先祖に思いを馳せられないので、その機会というかキッカケとしてお墓にいったり、仏壇に手を合わせたりするわけです。

あくまでもキッカケの道具です。ですから高価な墓や仏壇は必要ないと言うことになります。高価だから先祖との交信の感度が良くなるかと言ったら、そんなことはないわけです。感度をよくするかどうかはその人の"心"の問題になります。

昔なら死んだら肉体は墓の下で朽ち果てて土に戻ります。今では火葬で灰になってやはり土に返っていきますが、肉体は結局自然界にもどるということです。
でも魂は次にこの地上にやってくるまで別の空間で待機することになります。ですから歌のように、死んだあとその人は、その人の魂は、墓の中にはいないよということなんです。

お墓がなくても、仏壇がなくても、先祖を思う心があれば、それが先祖供養になるんです。

先祖に感謝出来る"心"を育てる

先祖と言っても幅広いですよね。親や祖父母はもちろんですが、その兄弟姉妹、あるいは見たことも無い先代の人達、名前さえも分からない先祖もいます。それを遡っていけばこの世の最初の人間にたどり着くはず。もっと遡れば究極には地球の最初の生物までいってしまうでしょう。

そうなんです。先祖供養というのは先祖に感謝すると同時に全ての生き物、すべての"自然"に対しての"感謝"なんです。自然界そのものへの感謝。それが先祖供養の"本質"です。

先祖供養にしても仏教的技法や神道的技法は様々あるでしょうが、何を信心するか、何の方法をとるかはそれは個人の自由です。問題は先祖に感謝出来るかどうかなんですね。それには最低限"家族"というものを大切にできないと無理だと思います。そして取り巻く人々、何かのキッカケで接した人々、そういった多くの人達を大切にすること。それも先祖供養に通じることです。

日本には彼岸や盆という風習が残っていますし、亡くなった方の命日もあるのですから、せめてそういう時にでも先祖に感謝を込めて祈りを捧げて欲しいものです。特に子どもたちには先祖を敬う心、感謝の心を持たせるためにも、先祖供養をする習慣を身につけさせてほしいと思います。



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